SEEDについて

DVD見てて改めて、何でSEEDがこんなにも一部の特定の傾向を好まれる女子の方に好かれていたのかが分かるような気がした。今までもそれに関する深い考察やら具体的なポイントやらは色んなサイトさんで見て、どれも十分納得のいく、思わず頷いてしまうものが沢山あったので私なぞがここで吐き出すのはちょっとした(それこそ)戯言に過ぎないけれど。
単純に、自分もそういうものにある程度は理解がある人間として、「こりゃ目ぇつけるな」て要素があるな、と思った。
SEEDに関しては自分自身は全くそういう目で見たことはないし見たくもないので、そういう点が目に付いたのかもしれないけれど。だからって他人が叫んで主張して(またはひっそりと告白して)いるモノに対して嫌悪感を抱いたりもせず普通に見ることも出来るけれど。
単純に、両主人公の因縁だとか見つめあい助け合い、片方の執着(笑)だとかがクリティカルヒット!てなわけではない気がした。その他の関係にしても。単純に男二人出てきてある程度仲良ければ誰彼問わずくっつけるわけじゃないから。くっつける…場合もあるがそれは決して大きな流れにはならない。
一番の要素は、主人公二人について(他もだけど)、あまりにも男性性を持たない(薄い?描けてない?)点だろうな、と勝手に思った。綺麗な絵とかそれ以前に。(基本的に所謂BL系の男性陣、男性色は薄い。幾ら「猛々しいオトコ」とか扱ってて書いていても。)そして行動心情分かりやすい。分かりやすいから自由にどの方向にも心情読み替え可能。だから勝手に妄想が膨らませられる。から、共通認識が抱きやすくなる。アスキラとかなんとかの。
他にも「あーそうかー」と思った理由はあるけれど、それはまあいいや。
で、連想して、自分が「何で仮にも一年見続けたものがどうでも良くなったのか」。
キャラの心情読み替え可能と言うことはそれだけモトが深く設定されてないということでもあり、ある意味紋切り型のステロタイプのキャラ設定と配置でもあり。アニメのキャラクターだからと言ってしまえばそれまでかもしれない。心情やら展開やら理解してもらってナンボであって、エンタテイメントであって娯楽であって。(まあその形式を採りつつ深めることは十分可能だと思うし、そうしないと独自性が生まれてこないし、そうしてこそ話が面白くなるわけでもあるとは思うが)
そのステロタイプ、分かりやすさを敢えて狙ったとかいうのは舞台裏の話であって、こちらには関係ない。当たったぞしめしめとか、そこは非難される所じゃなくわざとそうしたんだなんて発言は聞かされても、話の質には関係ない。寧ろ、そんな一過性の娯楽対象を作りたかったのか?と聞き直したい。モノを創る立場の人に。
せめて、ステロタイプでもそれをとことん突き詰めれば別の意味で面白いのにな。
ガンダムシリーズだからどうこうとか関係なく、単純に一アニメ作品として、個人的に終わった途端(正確には終わる前から)興味がなくなるものであったのは、登場人物の男性が男性性を確立してないし女性も女性性を確立してないから(主にラクスとカガリ)絡んでも全く面白くないのに絡みが中心で、戦争を見せるにはあまりにも手抜きで勝つ(負ける)までの手順が曖昧で、じゃあ残りはどこ?作画の綺麗さ音楽の良さ?声優の演技の良さ?それじゃあ、リアルタイムはよくても後々まで残らないと。

所詮、感情が動かされるかどうかが、物語の良し悪しの基準だとごく私的に思っている。だからフレイについてはある程度良かったと思う。マリューさんも女性性はあったなー。イザークディアッカは時間が足りなくて惜しい感じはする。あとー、あとー……。うーん。
ガンダムとして、は、Gガンとは別の意味でガンダムの特殊性を薄めてくれた作品…な、ような。それってガンダムな意味あるのかとかは置いておいて。