日曜17時のお楽しみがなくなったかわりにDSのソフト買おうと思ったら2軒まわって2軒ともなかった…!!1軒はポスターは貼ってあったのに!!!ナニソレ(泣)


ということでなんか本でも買って憂さ晴らししようと考えたわけでもあるようなないようなですが、ナイスタイミングで海堂尊さんの新刊「イノセント・ゲリラの祝祭」を発見。

イノセント・ゲリラの祝祭

イノセント・ゲリラの祝祭

何もなくても見つけたら買ってたと思うけど。


あ、それで思い出した、今週の読売ウィークリーまだ買ってない!
というか毎日本屋に行くのを忘れて帰ってしまう。さむいし…。
読売ウィークリーなくなるのはなんとなくさみしいです。いろいろお世話になった。データ見難かったけどね。


でなくて、海堂さんの新刊。
今回は、キャラを使って文章を流してるなーと思いました。
こういうとき、作者の背景を知らなかったらよかったと思う。
文章を流してるってのは、ただなんとなく書いてるってのとは違って。作者の言いたいことが立て板に水のようにセリフにのっかってすさまじい勢いとともにつらねられている印象。とても話としては面白く、またセリフとしても面白く、相変わらず私はプチKYっぽい田口先生が大好きなのですが。
なんかね、小説にすることによって、どんなものであれ、主張ってのは受け入れられやすくなる気がするんです。それはほんとうにおおざっぱにいってしまえば、テレビのドキュメンタリーで語る人の言葉に重みや真理っぽいものを感じちゃうのと似ていて。べつにいっこもわるくないけどねそれ。
それが悪いわけではないのですが、ものすごく単純に言ってしまえば、洗脳されそうになるんです。
私は。
あれを読んで「エー・アイ」を否定的にとらえるのは難しいと思う。「あ、なるほどね、そっか」って納得しちゃいそうになる。それは現実においてもその通りなのかもしれず、確かにエー・アイは導入したほうがよいのかもしれないのですが、そう考える根拠が私の中には海堂さんの小説から得た知識しかないのですね。医療系詳しくないから。そして小説から得た知識だけで何かを考える、それが正しいのだと思う、ことは、とても怖いことだと思うのです。
もしかしたら作者の考えていることは、これを契機に知ってもらう、調べてもらう、無関心から関心へと転換をはかることだけなのかもしれないけれど。
一足飛びにその向こうまで飛んでしまいそうなのが怖い。
ので、小説個体として見るのが難しいなーと今回は思いました。

受け取る側のフィルタがきちんとしてないと情報ってのは大変なことになっちゃうからねー。

逆に言えば、私のフィルタが弱いから、この小説に対して小説としての個人的評価判断ができないのかもしれない。とも思います。