いっこ下の日記とは、まったく関係なく自分個人の悩み。
ひょっとして私いま、なやみ多い・・・??
そんな自覚ないけれども。

9月末に、「わーい」って嬉しい気持ちしかなくて。
それまでは、「そうなったらいいなあ」と願ってたけど、がっかりして落ち込みすぎないように、「どうせ」って自分に言い聞かせて制限してた。いろんな理由と言い訳をもっともらしく考えて、予防線張ってた。これ私、イヤなことにけっこう得意。
それが。
周囲のとまどいをよそに、私に迷いはなかった。その時は。
だって、そうなりたくて行動したのに、いまさら躊躇したりやめたりするなんてどうして?結婚とか、また引っ越しして一人暮らしとか、今の仕事とか、そんなの二の次。せっかくそうなれるんだから、なるのは当り前じゃない?そう思っていた。むしろ、誰も喜んでくれないって、ちょっとすねて落ち込んでた。喜んで「よかったね」って言ってくれるのが当たり前だと思っていた。


最近になって。
来年から自分のやろうとしていることに、不安を感じるようになった。
今までも、私の仕事って、人の人生の契機に何らかの形でかかわるもの。決して積極性はないけれど、でも間違いなくそれが人生を動かすことになるかもしれない力を持つ。
それに、無自覚じゃなかった、と、思う。
ちゃんと考えていたし、その重さがやりがいで幸せだったり、宝物だったりした。
別に来年からそれが一気に増すなんてことはないと思う。
それを言えば今までの仕事だって一緒だと思う。
でも、不安。
もっとはっきり言えば、怖くなった。
衰えは早い。時代の流れは速い。
半年以上前のことなんて、もう誇れない。
また新人から始めないといけない。
何も知らないのに。


だったら努力しておけばいいのに、つい目の前の快楽に逃げてしまうのが私の悪い癖。
もっともっと、いろんなことを考えられて、いろんなことがうまくできて、いろんなことがわかって、行動できる人になりたいと思う。


※たぶん
こんなことを急に考えたのは、今日本屋さんに行ったとか、元上司と電話で話したとか、あるけど。
Qさま見たからかもしんない…(笑)
今日、「漢検受検してみようスペシャル」みたいなのやってて、父と二人で見てたんですが、「私2級持ってるよ〜」というと、「これから半年で準1級と1級チャレンジしてみたらいいじゃないか」て言われたんですね。「無理だよ、そう毎月試験があるわけでもないのに」とかるく流したんですが、考えてみたら勉強しといたほうが(取っといたほうが)いいのは明らか。なんですね。
現実を他人からつきつけられたとゆーか。そんなかんじなのかしら。